共働学舎新得農場(北海道新得町)は、

信州共働学舎(長野県小谷村立屋と同村真木)、

寧楽共働学舎(北海道小平町)とともに

「NPO共働学舎」を構成しています。

私たちはいのちがいっぱいの北の大地で、

さまざまな生い立ちや

個性をもったメンバーが共に暮らし、

自然の営みの深い流れと循環の中で

勤労生活をおくっています。

私たちが大切にしていること

いろいろな理由から社会での居場所を見つけられない人がいます。心身に重いさまたげを抱えている人がいます。私たちはそうした人々と共に、そしてそうした人々が共に働く場を北海道十勝、新得しんとく町の大地に営んでいます。

人間は太古から、複雑に関わり合い相互に力を及ぼしながら社会を作り上げてきました。どんなに大きくて強いものも、つまるところたくさんの小さくて弱いものたちに支えられている存在です。忘れてならないのは、弱いものに対してたとえささやかでもつねに心を差し向けていること。その意味が聖書にはこうあります。
「いと小さき者のひとりのためにしたるは、すなわち我のために為したるなり」。
(マタイによる福音書 25章40節)
とは、世界。小さなもののために何かを行うことは世界全体のためのふるまいにほかならない、という気づきです。

私たちの取り組み

世の中で居場所が見つけられない人たちは、一面で、人々に何かを伝えてくれるメッセンジャーではないでしょうか。いまの社会ではまだ解決できない暗闇。その深い影が、人々に多くの苦悩をもたらします。しかしその出口から差し込むはずの光をまさぐることは、次の社会を作り出していく可能性に近づくことでもあるでしょう。そんな試行錯誤は、時間がかかってもきっと人々の財産になっていくにちがいありません。

私たち共働学舎の取り組みは、危機を知らせる地下坑道のカナリアのように、やがて誰もがしなければならないことを少しだけ早くはじめたものだったのかもしれません。ひとりひとりが生きていることへの確かな手応えを求めながら、共働学舎新得農場は今日も、いまの社会が求めている何かの流れや循環を作り出し、発信していく試みを重ねています。

北海道新得町から

新得という地名の由来にはいくつかの説があります。アイヌが宝物とした「ほかい」という三本脚の漆器をアイヌ語で「シントコ」といい、この地にそれにまつわる説話があるから、というのもひとつ。もう一説は、アイヌ語の「シリ・エトク(大地突き出たところ)」から。オホーツク海に伸びるあの知床半島同様に、それは陸の先を意味するのです。地図をご覧になるとわかるでしょう。北海道の中央部に位置する新得は、日高山脈の北東部が十勝平野に突きだした山々のさき。そして共働学舎新得農場は、新得山(455m)のふもとにつらなる牛乳山の南面に拓かれています。

今日もいのちの匂いや輝きが満ちている農場には、牛と人、羊や豚などの動物たちが暮らしています。チーズづくりにいそしんでくれる微生物たちも重要な主役のひとり。牛乳山には、それらのすべてを包みこむ森や野鳥や獣たちの世界があり、季節のうつろいとともに日高の深い山並みと結ばれています。

私たちのものづくり

チーズを中心とした私たちのものづくりは、新得の大地を基盤に微生物から牛、そして人間までを貫く自然エネルギーの流れに忠実であることを大切にしています。そのエネルギーとは何でしょう。人間はそれを、例えば微弱な電気としてとらえることができます。
私たちの牛舎は木造で、鉄骨が使われていません。そして牛舎の床下には、大量の粉炭が埋められています。これらはすべて、この土地のエネルギーのめぐりをさえぎらないための方法です。

大地とそこに交わる水や風、そして光は、場の有機物の循環とエネルギーの流れを生み出します。西を日高山脈、北を大雪連峰の山々に囲まれ、南東に十勝平野が広がる新得のような地形は、西から来る大地のエネルギーと、太陽の恵みである“陽”のエネルギーが十文字に交わる「ひだまり」をつくります。さらにこの地は十勝川の最上流であり、最も自然のエネルギーに恵まれたところであると考えられます。

「自然と一体になっている方が、高い質を作り出せる」。
私たちは経験的にそのことを知っています。だからかたくなに殺菌や無菌をめざすよりも、微生物によって微生物をコントロールすることの方が自然なのです。命あるものが必要とする最も基本的なことを尊重しながら、機械を主役とするものづくりよりも、微生物をじゃましない、機械に頼らないものづくりへー。私たちは産業革命以前のいにしえの教えや伝えを現代科学の目であらためて探求しながら、すべての生き物を共振させる「自然の摂理のままの酪農」に取り組んでいます。